「Windows 7」を殺す
年末年始の忙しさを言い訳に避けてきたのだが、ついにそれを実行する日が来た。
思えば、彼女にとっては最後のクリスマスであり正月だったわけだ。
我が家のWindows7 の最後の時だ。ノートPC 2台のWindows7の領域をフォーマットし、 Ubuntu 18.04.3 LTS (2023年4月までサポート)で塗りつぶした。iMac(2012)のBootCampマネージャを使い、領域をOSXの管理下に戻した。例外はなかった。鏖《みなごろし》だ。ありがとう。そしてさようなら。
今日までにも、世界中のシステム管理の担当者が彼女を殺している。激しいセブン殺しは2020年1月14日のサポート終了日まで続くだろう。世界は血で染まる。
その後、殺戮の衝動はややおさまるはずだ。企業向けにセキュリティパッチ提供する延長サポートは有償で2023年まで行われる。だんだん高価になるが弱みにつけこまれるほうが悪いのだろう。Windows7は生まれ落ちた瞬間からサポート終了日を告知されていたのだから。
2020年1月14日のサポート終了日が過ぎて、急に無口になるシステム管理担当者がいるかもしれない。彼、あるいは彼女は無能か多忙すぎたかセキュリティ意識が微塵もないせいか、あるいはあり余る愛着からか、死ぬが運命《さだめ》のWindows7をこっそり生かしているのだ。ネットワークから外しているならそれもよし。酔狂というものだ。愚行権はある。他人に迷惑をかけない限りは誰にも文句はいわれない。
しかし、往々にしてそうした無届け延命処置されたWindows7はネットワーウにぶらさげられてしまうものだ。いまどきネットワークと接続しなければできない作業が多すぎる。いわゆるクラウド社会ってやつだ。嗚呼…。
まもなく、サポートを終了したWindows7を利用したBotネットが話題になるだろう。ゾンビ被害だ。世界中をゾンビが徘徊することになるかと思うと、私は今日のうちにWindows7を殺しておいてよかったと思う。
あんなにお世話になり、大好きでもあったWindows7がゾンビになって誰からを傷つけ非難されることに私は耐えられない。殺した私にもWindows7 への愛着はあったのだ。