今や三幕構成は映画や舞台にしか通用しない懸念もなくはない
映画や舞台ては三幕構成がよく使われる。
三幕構成の二幕目をミッドポイントでさらに分ければ、日本人なら誰でも知っている起承転結になる。
こうした構成が現代においても有効だというのは、多くのヒット映画や舞台作品が証明してくれている。
しかしながら、三幕構成が小説にも有効かどうかは保証まではされていない。
映画なら使えるけど、小説だとダメ、という可能性はなくはない。
映画はいったん薄暗い部屋のなかに入ってしまえば、相当な駄作でない限り席を蹴って退場されることがないし、主人公が辛い目にあう試練のシーン(最近、ネットではトンネルなどと呼ばれていた)も自動で再生される。
小説は書き出しがつまらなかったら1ページも読んでもらえない可能性が高い。トンネルで本を置かれ、それっきりになる可能性もある。小説が創り出すイメージは本人の脳にしかないのだ。自動再生はされない。映画より多くの意思の力を必要とする。
映画とお芝居は似ている。お芝居はもっと拘束力が高い。小劇場なら、逃げようとしている観客を役者が舞台から降りて拘束するなんてこともできる。無法地帯だって? そういうカオスもまたナマの舞台の楽しみでしょう。
話が逸れた。もとに戻そう。
三幕構成の小説の応用は絶対ではないと疑いつつも、私は自作でも三幕劇風のプロットを考え、書いていくと思う。
なぜかというと、知見が多い作り方なので、参考になる文献や過去の名作からの引用が容易だからだ。
三幕構成から変更するかどうかは自作の結果をみて考えよう。